「アートは現在の文化の批評として、また、未来が形をとり始める場として機能しうる、と私は信じている。」スーザン・ヒラー『私という未知に向かって――現代女性セルフ・ポートレート』展カタログ、東京都写真美術館、1991年、p. 94
「名前が子に合わせるのか、子が名前に合わせて変わるのか、わしにはいまもってわからん。だがこれだけは言える。人があだ名をつけられるというのは、生まれたときに与えられた名前が間違っていたという証拠にほかならん」(John Steinbeck, East of Eden, New York, Viking,1952, p. 261 ジョン・スタインベック『エデンの東2』早川文庫、2008年、308頁。 ハミッド・ダバシ『ポストオリエンタリズム』作品社、2018年、154頁からの孫引き)
「人間は、氷原が消滅に向かう速度を計算する。人間以外の生命形態すべての絶滅を予測する。気候変動を語るにしても、みずからの感性的経験――例年と同じ時期に飛来しなくなったこれこれの鳥、鳴き声がきこえなくなったこれこれの虫、これこれの植物と同時に花を咲かせなくなったしかじかの植物――にもとづいては語らない。人間はそれを、数字や平均値に依拠して科学的に語るのである。気温が幾度も上昇しつつあり、降水量が幾ミリメートルも減少しつつあると論じれば、なにかをいったつもりになるのである。(略)うぬぼれの極まった人間はいまや、環境が望んでいるわけでもないのに、父親気取りで「環境を保護する」つもりになっている。それこそ、人間が難局を切り抜けるための言い逃れとみなさざるをえない。(略)おそらく天然資源の枯渇よりもはるかに清国なのは、われわれの同時代人をみまっている主観性の資源、生の資源の枯渇だろう」(「メリー・クライシス・アンド・ハッピー・ニュー:フィアー」『われわれの友へ』不可視委員会著)
この超畜生道に堕落しつつある地球の表面から消え失せることを歓迎いたしおり候(桐生悠々(家永三郎編『日本の歴史6』ほるぷ出版、1987年、217頁より孫引き)
あらゆることを知れ。しかしおまえ自身はだれからも知られてはならない。バシリデス(BC125年のグノーシス派の哲学者)
アドルノの有名な言葉は、おもうに修正が必要である。アウシュビッツのあとで不可能なのは詩ではない。むしろ散文である。スラヴォイ・ジジェク(『暴力――6つの斜めからの省察』中山徹訳、青土社、序文、14頁)
地獄とは、神がうっかり私たちに差し出した神自身のわずかな観念に他ならない。バタイユ(『エロティシズム』酒井健訳、ちくま学芸文庫)
L’enfer, c’est les autres. 地獄とは、他者達のことだ。サルトル
人間の運命は車輪のようなもので、くるくると廻りつつ、同じ者がいつまでも幸運であることを許さぬものだ。クロイソス ヘロドトス『歴史 上』岩波文庫、松平千秋訳、1971年、176頁。