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絶望を糧とする――石原吉郎「オギーダ」

 自殺は敗北である。そのことにかんするかぎり、私は結論をためらわない。だが、敗北とは何か、なんんいたいしての敗北かということになると、私に明確なものはなにもない。

そう始まる石原吉郎の「オギーダ」というエッセイ。

 

自殺を敗北とする石原は、自殺しなかった敗戦後のシベリア時代のおのれを、逆説的にも肯定していると、私は読む。石原は、何度もフランクルの「すなわちもっともよき人々は帰ってこなかった。」(29頁)という有名なフレーズを『石原吉郎セレクション』では引いている。人間的に堕落したじぶんのような人間たちだけが、シベリア抑留を生き抜けた、人間的配慮をすべてを喪失し、ただ生き残ることだけに適応した人間たちだけが、生き残った、そう石原は言うからである。

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