読書メモ」カテゴリーアーカイブ

「欲望」の「先天性」/「所与性」をめぐって――『ジェンダー写真論』『欲望会議』

この一年、わたしがじぶんのなかで確認したことは、自分のいま探求したいテーマが「自己」をどう変えていくことができるか、とりわけ自分のセクシャリティーをいかに刷新することができるのか、そういうことである。

 

父とのいざこざもあったのが2018年であったけれど、正直いまはどうでもいい。もしかしたらこのHP上で、blog記事では、家族関係に執着しているような言葉を書き連ねているため、誤解される余地があるが、基本的になぜ家族関係への問いを持っているか、といえば、家族関係から自由になりたいからであり、精神分析が指摘するように、己のセクシャリティーの形成に家族関係が濃厚に影響を残すから、ただそういった視点からに過ぎない。 続きを読む

自分自身の不全から目を逸らしてーーブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』

ブレイディみかこの『子どもたちの階級闘争』を読んだ。きっかけは、いくつかあるが、例えば、最近読んだ記事ではこう評されていた。

 

 最近でこそ「反緊縮」みたいなことを言うリベラル文化人も出てきましたが、断言しますがこれは完全にブレイディみかこさんの影響です。ブレイディみかこが登場しなかったら、リベラルな人たちの口から「反緊縮」なんて言葉が出ることはなかった[1]栗原裕一郎の「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(2)https://www.mainichi.co.jp/heisei-history/interview/14.html 

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References

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1 栗原裕一郎の「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(2)https://www.mainichi.co.jp/heisei-history/interview/14.html 

「父」の始まりについて――ドミニク・チャン「「はじめ」と「おわり」の時」に寄せて

わたしは、生を言祝ぐ言説が嫌いだ。それも、自分との連続性の中で、じぶんを価値づけるという結果的な合目的性が見出されるほど、嫌いの度合いが高まる。

 

実存的には「生まれてこない方がよかった」という反出生主義を生きているようなところがあるが、ただじぶん以外の人々、生命全般を視野に入れるや、どちらかというと、中立的である。中立的というのは、決められないという迷い、というよりは、そもそも生れてくる、生命が、自然が、その摂理(法則でもいい)が、死がある、というのは、一個体の価値判断の対象ではない、というよりも、そのような判断がくだせる主体がありうるとすれば、生を超越して、それこそ上からすべてをまなざす神のような超越者しかありえないからだ。

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絶望を糧とする――石原吉郎「オギーダ」

 自殺は敗北である。そのことにかんするかぎり、私は結論をためらわない。だが、敗北とは何か、なんんいたいしての敗北かということになると、私に明確なものはなにもない。

そう始まる石原吉郎の「オギーダ」というエッセイ。

 

自殺を敗北とする石原は、自殺しなかった敗戦後のシベリア時代のおのれを、逆説的にも肯定していると、私は読む。石原は、何度もフランクルの「すなわちもっともよき人々は帰ってこなかった。」(29頁)という有名なフレーズを『石原吉郎セレクション』では引いている。人間的に堕落したじぶんのような人間たちだけが、シベリア抑留を生き抜けた、人間的配慮をすべてを喪失し、ただ生き残ることだけに適応した人間たちだけが、生き残った、そう石原は言うからである。

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伊波普猷の呪縛 2017年11月 沖縄滞在メモ

ここに収められた「起源と反復――伊波普猷について」は、羽田から那覇へ向かう飛行機の中、滞在一泊目の夜に泊まった読谷村のホテルで、読了した。

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明治維新期において「一般意志」はどこに見出されうるか――橋川文三『ナショナリズム』『西郷隆盛紀行』

『Hapax,6,破壊』所収の友常勉の「よりより<生>とアジア主義」に、1960年代後半の山谷の暴動を、アジア主義というタイトル内の言葉にあるように、近現代日本史の一視覚と絡めながら、論じたものである。

 

暴動と蜂起にかかわる議論においてアジア主義を参照する理由は、東アジアの地政学的な時間と空間んという準拠枠に位置付けられた近現代日本において、それが蜂起と革命の倫理的真理を規定する条件だからである。(同書、173頁)

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生産様式ではなく、生活様式へ――西田正規『人類史のなかの定住革命』

2016年秋口に、本書を読んだ。知人からの評価が高かったこと、また以前読んだ國分功一朗さんの本での紹介が興味深かったこと、それゆえ積読の山から掘り出した。

 

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高階秀爾監修、遠山公一著『西洋絵画の歴史1 ルネサンスの驚愕』

ルネサンス絵画とは、「自然模倣あるいは現実再現」を古典古代を参照(理想と)しながら目指すものとされるし、それは知っていたが、本書で勉強になったのは、以下のふたつ。 続きを読む

原彬久『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』

2015年、それは沸騰した年だった。政治的にはSEALDSを中心とした運動によって。

そうした「大衆運動」に微弱ながら足の指をつけこみながらも、他方で、どうしていまの政治的状況が作られたのか、なぜここまで展望が悪化するまでになってしまったのか、どうしても問が芽生えてやまない。とりわけ、日本の戦後史において、左派政党は、いったいなにをしてきたのか、とくに、70年代以降、高度成長が終わり、国際関係が大きく変化する中、何をしていたのか。こうした問がやまない。
そんな問いに導かれて読んだのが、原彬久『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』である。 続きを読む