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souvereigntyについて 

高校で講師などしていると、教育関係者に会ったりその研究会に顔を出したりする機会があるが、傍らに身を置きながら、いつも腹立たしい思いがするのが、「主権者教育」というタームとこれに関する参加者の理解である。

 

なにが腹立たしいかというと、正確には、腹立たしいというよりは、傲慢にも程が有る、という感覚に襲われるのだが、どういうことかというと、まるで、どこかじぶんたちは「主権者」であり、じぶんたちのような「主権者」のように、子ども達がなるためには、どうしたらいいか、というなんとなくの雰囲気があるからである。

 

上から目線も甚だしい、しかしそれが愚かに思えるのは、私からすれば、”じぶんたちは誰も「主権者」たりえていない”、という共通認識からでしか、議論は始まらないのにもかかわらず、それをすっとばしていて、なにかしら高邁な「教育」が語られているからである。 続きを読む