信田さよ子「家庭は崩壊しつつあるのか?――多様化する家族」(『歴史地理教育』2003年1月号)を読んだ。教員用の雑誌に書かれているため、かなりエッセンスに詰まったもの。
信田さよ子「家庭は崩壊しつつあるのか?――多様化する家族」
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信田さよ子「家庭は崩壊しつつあるのか?――多様化する家族」(『歴史地理教育』2003年1月号)を読んだ。教員用の雑誌に書かれているため、かなりエッセンスに詰まったもの。
大塚英志『「おたく」の精神史』を一気に読んで、正直励まされた思いに駆られている。
批評の営みとは、歴史を書くことの営みとは、極めて厳密に「客観的」に書かれてしかるべきものである、そう多くの人が思っていることだろう。だとしたら、そう考える人は、この本の「主観的」な叙述に戸惑うことになる。
実際、本書のタイトルにあるように、大塚は決して「オタク」とは書かず、あくまで彼にとっての「おたく」にこだわり続け、そして東浩紀からは、大塚は自分の経験を一般化するのを拒んでいると批判も受けたという。
しかし僕からすると、この本の魅力と本質は、「おたく」と書き続けた事だったように思われる。大塚自身はこう述べる。
國分功一郎『来るべき民主主義』(幻冬舎新書、2013年)を読んだ。
本書は、2009年に、東京都小平市で、地域住民の憩いの場となっている雑木林や玉川上水を貫通する巨大な道路建設計画が明らかになり、以後、それを巡って、著者ら住民がなんとか計画の見直しを求めて行政と格闘していった記録であるとともに、それを政治哲学の問題として考察した書である。
行政と格闘と言うと、いわゆる住民の反対運動と捉えられるが(それ自体はもちろん悪くもない)、小平のこの運動が他の単純な反対運動と違って見えるのは、この運動が、道路建設の反対を求める運動ではなく、この計画に対する住民投票を求める、それも公正で住民達も納得できる住民投票を求める運動である点だ。