絶望を糧とする――石原吉郎「オギーダ」


 自殺は敗北である。そのことにかんするかぎり、私は結論をためらわない。だが、敗北とは何か、なんんいたいしての敗北かということになると、私に明確なものはなにもない。

そう始まる石原吉郎の「オギーダ」というエッセイ。

 

自殺を敗北とする石原は、自殺しなかった敗戦後のシベリア時代のおのれを、逆説的にも肯定していると、私は読む。石原は、何度もフランクルの「すなわちもっともよき人々は帰ってこなかった。」(29頁)という有名なフレーズを『石原吉郎セレクション』では引いている。人間的に堕落したじぶんのような人間たちだけが、シベリア抑留を生き抜けた、人間的配慮をすべてを喪失し、ただ生き残ることだけに適応した人間たちだけが、生き残った、そう石原は言うからである。

その意味では、石原は、自殺という敗北を、堕落したことによって、逃れることができた、そういうのだ。他方で、石原は、青酸カリを飲んだ婦女子その他の例をいくつも引きながら、「敗戦」後、自決していった人々について、「ここでは生存ということが、むしろ敗北なのだ」と、彼らの立場にとっての死の意味を指摘する。

 

自決者たちにとって、生き残ることは、辱めである。生きて虜囚の辱めを受けてはならない。では、死とはなにか、自殺とはなにか、それはおのが(帝国日本の)理念のために身を捧げる、生に最終的に意味付与することで、成就する行為である。そこには、希望がある。なぜならば、もし虜囚のかたちでの生が始まったならば、その虜囚の生が、それまでの臣民たる自分の生を無化し、全否定することになる。だから、自殺は、虜囚の生という絶望をかなぐり捨てて、最期に、おのが生に栄光を付与する希望に満ちた行為なのだ。

 

翻って、石原は、なぜ敗北しなかったのか。最も、石原が「勝利」したと、語っているわけではないが、それでも想定される「勝利」とはなんだったのか。少なくとも言えるのは、石原は、自決者たちのように、それまでの自分の生に対して、まったくより良い意味付与をしようとしなかった。前の前の希望の全く見えない抑留生活に、絶望的な未来の時間に対して、身を投じたということだ。それを、石原は人間としての「堕落」と表現したのだ。屈折した表現。

 

それまで生きてきた生と、これからの生(あるいはもう始まっている承認しがたい生)との断絶をたやすく受け入れること。それが、自決者たちが、もっと全般に言って自殺者たちが拒んだことでなかったか。

石原吉郎を読むと、絶望を生きること、生きていくことにまったく肯定的な意味付与ができずとも自殺しないでいれるかもしれない、そういう風に思えてくる。

 

裏を返せば、なぜ自殺が愚かなのか、それは、結局のところ希望を抱いて生きてることにある。生きることが輝かしく、素晴らしいものなのだ、という根本的な誤認をして生き続けてきた者たちが最後に取る、生への希望の投与でしかないからだ。

 

20世紀以降の総力戦が戦争の習わしとなり、戦後その結果多くが福祉国家化していった時代、それは、「生権力」が人間の全般を包み込むようにして「生」に過剰に意味付与していった時代ではないか。 総力戦の中では、誰一人「無駄な」生は生きない。少なくとも、兵隊として、銃後の社会の担い手としては。それが、総力戦後に、その代償として、自分たちへの平等な福祉を求める社会全般の希求とその政治的実現につながっていったわけだ。福祉国家とは、フーコーが言うように、生をただ生かす国家であり、それは結局、無駄な生などまったくない、というイデオロギーだろう。 ただ生きているだけで意味がある生というイデオロギー。

 

戦時下自決者たちの精神もまた、「帝国」日本のために生を捧げることに生きる意味を見出し、他方で福祉国家後の社会ではただ生きているというそれだけで意味があるという意味付与がされる。どちらも生に希望を見出す(後者においては内実は極めて空虚である。内実としての生にはなんら享楽的な出来事がなく、ただチューブで栄養を送られ生かされる生を想像したい)ことにおいては変わらない。「福祉国家」という社会民主主義国家をよしとせず、「共産主義」の理想に希望を見出してた人たちもまた変わらないだろう。少なくとも、ジョルジュ・バタイユはそう見ていたことは確かである。

 

私は共産主義者ですらないのです。[デュラス:ですらないとおっしゃるのは?] 私はこの世界にいかなる希望も持っていないのですから、そしてまた私は今この時のなかで生きているのですから、今よりあとに始まる事にはとても心が配れないのです。(「デュラスとの対話」『純然たる幸福』385-386頁)

 

 

 

 

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