國分功一郎『来るべき民主主義』


國分功一郎『来るべき民主主義』(幻冬舎新書、2013年)を読んだ。

 

 

本書は、2009年に、東京都小平市で、地域住民の憩いの場となっている雑木林や玉川上水を貫通する巨大な道路建設計画が明らかになり、以後、それを巡って、著者ら住民がなんとか計画の見直しを求めて行政と格闘していった記録であるとともに、それを政治哲学の問題として考察した書である。

 

 

行政と格闘と言うと、いわゆる住民の反対運動と捉えられるが(それ自体はもちろん悪くもない)、小平のこの運動が他の単純な反対運動と違って見えるのは、この運動が、道路建設の反対を求める運動ではなく、この計画に対する住民投票を求める、それも公正で住民達も納得できる住民投票を求める運動である点だ。

 

この計画自体が半世紀前に立案されたものであり、この計画があるために府中街道の道路整備を行わなかったこと、そして雑木林がどれほど住民達の多くに愛されているか、等々、数え上げればきりがないというほど、計画の不条理なところは、枚挙に暇がないが、それはここでは置いておく。

 

 

端的に言えば、計画に関する住民投票を求める署名は、規定に達し、住民投票条例案も小平市の議会でも可決され、実施が決まったのだけれども、後だしじゃんけんで、市長の小林正則氏が「投票率が50%未満であれば住民投票は「不成立」」という条例の修正案を出し、(市長自身の市長選の投票率が37%だったのにも関わらずだ)、この修正案が可決され、結局投票も35.17%の投票率であったため、成立さえ認められなかった。

 

 

だけど、こうした小平の運動の記録だけに本書の価値があるのではないし、やはりじぶんじしんも関心を持ったのも、こうした結果うんぬんのものではなかった。結果云々だけだと、結局、だから行政はだめなんだ というありきたりな主張に終始してしまって、そうすると、どうせだめなのはわかっている、だけど反対はする ⇒ 目的は反対する事それ自体 みたいな話にもなりうる。

 

 

そうではなくて、國分氏が主張するのは、そもそも近代西欧由来の政治システムそれ自体に問題があるということで、このことの方がより興味深い。

 

 

その問題とは一言で言えば、これまで近代の民主主義というのは、主権=立法権 という前提に基づいていたし、それがホッブスにしろ、ルソーにしろ多くの近代の思想家たちに見られる前提だ、ということで、しかし、実際は行政(官僚組織含む)が、議会で作られた法を、なんらかの仕方で解釈したりして、法を大部分が裁量に基づいて執行してきていて、現状、日本でも、議会が統治にかかわるすべてに決定を下しているというよりも、行政が単に議会で決めた事を執行する以上に多くのことを決めている現状がある。それがまさに小平市の問題に顕著であったと。どうして、「実際に物事を決めている行政の決定過程に民衆」(15頁)は関わることができないのか。実際に多くのことを決めている行政権に民衆が関与できないのに、どうしてそれでも「民主主義」といえるのか。まさにこれが國分氏が定義している問題である。

 

 

これと関連して興味深かったのは、実際のところ「絶対主義」国家は、絶対的な権力を盛っておらず、当時だからこそ、君主の統治を正統化する概念として「主権」が考え出されたという点。そこでてことなったのは、<統治の規範>たる法の確立であり、立法権であるということ。支配者による統治は、法によってこそ行われるべきだという思想。その法自体は、誰もが周知することができる。だから、それまで司法も、拷問等様々な現在では許されないこともされてきたが、以降、法に則って、公開されてもまったくその正当性が疑われない仕方へと変わっていったと。つまり、それまでこまごまとしながらもいろいろあった<統治の技術>よりも<統治の規範>が重要になっていったわけである。

 

しかし、読みながら素朴に思ったのは、以下の点。どうして立法権と「公開性」が結びつくのか。ちゃんとした法に則っていれば、公開しなくてもよいのではないか。疑われたときだけ公開すればよいのではないか。また、なんで主権は立法権でなければならなかったのか。当時、分権体制から集権体制へと移行させるほかの方法はなかったのか。

 

 

考えるに、基本的に立法権が着目されたのは、たとえばイギリスの歴史では、国王チャールズ一世は、クロムウェルら議会を掌握した独立派によって、処刑される。こうしたピューリタン革命は、王権神授説に基づく国王に対する人々の戦いであり、振り返ると現在の立法権=主権 確立の第一歩の話である。「人々」と言っても一般民衆ではなく、クロムウェルがジェントリという貴族には含まれないものの上流階級を構成する下級地主層出身であったように、端的にいえば一部の金持ち地主らである。 彼らが唯一統治に参与できるのは、当然ながら議会である。だから、国王からどうした力を奪えるか、となったとき、立法権の正統性の問題に行き着いたのだろう。

 

 

で、これをめぐって、ホッブスやロックやルソーら、思想家間でさまざまな主張がなされたというのが近代の政治哲学史。

 

 

もう一点、考えさせられたのは、法と制度との関係。國分氏が言うには、「法は行為の制限であるから、法が多ければ多いほど国家は専制的になる。それに対し、行為のモデルであるから、制度が多いほど、人は自由になる」(145頁)。だから、法の制定や法の制定権=立法権を重要視して議会の改善ばかりに目を向けるのではなく、「主権者である民衆が政治に関わるための制度も多元的にすればいい」(147頁)ということ。

 

 

もちろん、こうした制度と法についての考えは、ドゥルーズ由来のものであるわけだけれども、とても興味深く読み、なるほど、確かにそうだと納得させられながらも、考えたのは、それでも内的な法の確立は重要ではないか、という事。つまり、法と言っても、実定法のみならず、自然法についての考えも当然あって、近代の西欧の思想家たちが常に念頭においていたのも、自然法と人間との関係だと思う。

 

 

どうしてこれが自分には重要に感じられるかと言うと、結局、問題は、「モラル」の形成に関わる事だからで、たとえば、ある行為をして、罰せられても、人が「罪」を感じるとは限らない。外的でその意味では現実的な法を犯しても、個人としてのじぶんにとって、それがいったいどんな意味を持つのか。その意味で、法などどうてもよく、制度を多元的にしろというのはほんとうに納得する。ただしその時の法は、外的な実定法。

 

 

勝手な思い入れを語ると、ルソーを最近ちゃんと読みたいと思うようになったのは、彼が、あくまで内的な法の確立に偏屈なまでにこだわっていたように思えるからである。神様がまったくいなくなった世界にあっては、そして、宗教を信じないと言い切る日本人にとっては、当然、どうして法にしたがないといけないのか、本当のところでなにもこれに答えることは出来ないはずで、では、法がまったく不必要かといえば、じぶんが生きていくに当たり、じぶんの中で、これをしたときにじぶんを苛みじぶんをせめてしまう、これをしたときにじぶんを誇らしく思う、そうした法の確立がとても重要に感じられる。

 

 

一般的にドゥルーズやフーコーって、否定的で規定的な法を拒み、肯定的・積極的なもの(ここでは制度)を重要視するわけだけれども、逆に言うと、それは極めて醒めた考えにも思えなくもない。というより、否定的消極的な法と肯定的・積極的なものとの対立と言うのは、本質的には、なにを重要視するかという部分での対立に過ぎなくて、つまり、否定的な法を重要視するのは、内的でじぶんにとっての道徳的な次元の判断を重要視するからで、もっといえば、これを重要視するからと言って、肯定的・積極的なものを拒む理由にもならず、だから、対立と言っても、両立する対立に過ぎない。

 

 

それとも、否定的法 × 積極的なもの との対立というのは、内的と外的との対立の問題ではないということだろうか。もちろん、じぶんの内的な法(これをすると自分をせめてしまうようなルール)と外的な法との関係は密接で、だから「他者」の問題を考えていくという発想になっていくわけだけれども、肯定的・積極的なものから、いかにして自分の中の倫理的規範の問題をときほぐしていくのか、そのあたりもっと知りたいものだ。

 

 

こんな風に、まとまりのない文章になったのは、考えもまとまりがついていないからだろう。それでもひとまずタイプをやめよう。

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