東アジア史・東南アジア史・アジア史(1) ――宮崎市定を中心に


いま知識で食っていくために、世界史の勉強もしている。というか、昨年30歳になって、40までにあと10年間しかない。40になるとなんだというんだ、といえばそれまでだが、現在のじぶんは世界認識面でかなりいたらなく感じていて、つまり、世界で起きているあらゆる出来事について、あらゆるカテゴリーについて、じぶんなりの一定の認識や理解を、いまだに示す事ができないことが、かゆくてたまらないわけ。

 

まあそういうのもあって、というか一番は最初に言ったように食っていくためなんだけど、だからといって、知識を単に頭に詰め込んでというのは、はっきりいってばかげている。そうではなく、きちんとした統一的・思想的理解を得ることまでしないと、モチベーションがでない、というわけで、以下ここ数年で読んだ、世界史関連の書籍を紹介していきたい。願わくば、後学の人が立ち寄って、参考になるものを書きたいがそこまでいくかは定かではない。

 

さて、問題は、(今回検討・紹介したいのはアジア史だけど)さんざんある書籍の海を、アマチュアの人間がその航海にでるときに、いったいどんな航海図を選べばいいのかと言う点である。なんらかの一定の権威にたよる、というのが妥当なもので、そうなると当然学問的下支えがあるもの、というのが第一条件となる。

しかし、かといって、ただ衒学的で、歴史叙述に良くありがちな、時系列的に叙述しているだけで、いったいその出来事の系列がどんな意味があるのか、歴史哲学を感じさせなければ、はっきりいって、権威にひれ伏すだけだし、本当の意味で、真に意義深い認識が形成されるわけがない。したがって、第二の条件、それは、歴史に関する(ある種主観的であってもいい)特異な理解・哲学を感じさせるものである。

 

その最たる例として、私が出会った歴史家は、宮崎市定である。

 

(申し訳ないが、出会うときに参考にした本があって、その本の著者が宮崎市定を紹介していたのだけど、その本は、覚えていない。図書館の大型本のコーナーで見たとだけ記しておく)

 

最初に読んだのは、『アジア史論』で、ここにある「世界史序説」という文章は、宮崎入門にはちょうどいい。彼の優れて魅力的なこと、それは、アジアについて論じていても、常にヨーロッパやその他の歴史的滋養とを関連付けて語ること、歴史的出来事が地域史の中に決して孤立しないこと、真にトータルでグローバルな歴史認識を展開すること、この点にある。それを占めすのが彼の時代像認識である。

 

160325 宮崎市定の時代像認識(『アジア史論』中高クラシックス、13頁)

ふつう、「古代」とは、ヨーロッパであれば、ローマ帝国からキリスト教誕生までのヘレニズム世界までを指すし、中東であれ東アジアであれ、同じ時間軸に属すと考えがちであるが、この常識をぶち壊すのが、宮崎である。宮崎が提案するのは、時代の本質的特徴を導き出し、その特徴を基準にして、実際の各地域の歴史を区分すること。

たとえば、「古代史的発展」とは、都市国家という小さな政治権力集団の派生から大帝国の成立をその特徴とする。だから、まずこの発展が起きたのは、BC550年のアケメナス朝ペルシャ帝国であり、これは、アレクサンドロス大王まで続くが、大王によって西アジアの古代史的発展は幕を閉じる。が、西アジアの騎馬隊や鉄器の使用が、次第にそれが東アジアに伝達され、こうして中国では、最も西に位置していた秦が帝国を形作り、漢帝国が続くまで、東アジアの古代史的発展は続く。他方、ヨーロッパでは、ローマ帝国の成立し、4世紀に崩壊するまでを、古代史的発展とする。このようにヨーロッパや西アジア、東アジアでは、古代史の発展する時期がずれる。だから上の図表にあるように、区切りが地域によってずれるのだ。

 

古代史が終わると、「中世史的発展」がはじまる。その本質的特著は、分裂割拠の時代、封建的割拠制、耕作者の農奴化、等々が上げられる。まあ詳しくは彼の本を読んで欲しい。鉄器の伝達や統治方法の伝達等によって、このように世界史的統一像を彼の本を読むと掴む事ができる。

 

教科書的で少々つまらないが、それでも良書なのが、『アジア史概説』。この成立の事情が、宮崎の末恐ろしさをよく伝えてくれるのだが、実はこれは、大東亜戦争の真っ最中に、文部省の意向によって、”世界で最も古い暦を持つ日本を扇の要のように中心に置き、皇国の文化が、朝鮮・シナからアジア各地へ光破していく歴史を書くよう要請」されて、宮崎が書くことになったのだけれど、宮崎の返答は、「叙述の範囲をビルマ以東に限らずアジア全体に広げた歴史を書き、また日本を扇の要にする代わりに西アジアを扇の要におき、最古の文明はまず西アジアに発祥し、それが次第に東へのびてきて、最後の終着点たる日本において最高度の文化を結晶させた、という風になら、書きうる」(『アジア史概説』解説より)と返答する点。つまり、全然日本中心の歴史を書いているようで書いていないのである(笑)。

 

 

敗戦もあって、第三章までの中世までの歴史しか扱えなかったのを、戦後書き足して、第四章以後書き下ろしていて、筆の進みをみても、圧倒的に第四章以降の方が面白いのはこうした成立事情に由来していると思われる。

 

どうやら最近宮崎市定を売り出そう、あるいは後世にも読ませようという動きがあるようで、最近は岩波でも『中国史』が出されたが、これも中国史の最上の教科書としておすすめしておく。

 

 

中国の歴史については、かなり学問的には信頼できる以下の本もお勧め。

 

 

本のタイトルにあるように、学問的にどんな論争があるのか、という観点で叙述していくので、東洋史の初学者にとっても良いだろう。ただ残念なのは、巻末に索引がないということ。センター試験勉強の中で、出てきた単語のまっとうな理解を知りたいときに、索引がないというのは、めんどくさいし、ちょっと試験勉強的利便さには劣るのは言うまでもない。

 

で、宮崎のこの本を読めば、西アジアと東アジアとのつながりが、イスラーム的宗教の観点には欠くとしても、東西の交流史的観点で把握する事ができる。とはいえ、ピースとして欠けてくるのはそうすると、東南アジアの歴史。これについてなにをよめばいいのか、正直困惑した結果(もし良書を知っている方いれば、教えてください)、ジュンク堂でみて、とりあえず読んでみたのが、以下の書。

 

 

この本の印象としては、手堅く堅実な叙述の本といったところ。

東南アジアが、インドの古典文明の影響を受けて発展していくつながりの叙述だったり、あとときどき見られる階層分析(どんな社会階層/階級/民族の人たちからその地域の歴史が織り成されているか)がとても親切で、わかりやすい。一番個人的に興味深かったのが、華僑についての叙述で、華僑と言うのは、現地を離れず本国との関係を維持しようと言うある種の矛盾を生きる存在で、一定のナショナリズムをともない、だからチャイナタウンを各地で形成したりしたし、辛亥革命のとき孫文に資金提供をしたりする下地があるという記述。

 

またドゥラスのラマン『愛人』だったり、なんかフランス文化でよく東南アジアのクーリー苦力が登場したり、金子光晴なんか読んでいると、クーリーという語が出てきたりと、なんかそういうのどういう人たちなのかふしぎだったんだけど、どうして華僑が、まさにシンガポールのように発展したある種の成金として東南アジアの一地域に栄えることができたのか、それが、たとえば、ヨーロッパの白人の帝国主義社会と土着民社会との橋渡し的社会として東南アジアに根付いて経済的に潤っていったことがわかったのも、よかった。

 

あとはなんだ、「帝国主義」時代が、いつ東南アジアではじまるかといえば、オランダが覇権を握った、17世紀ではなく、1819年のイギリスラッフルズにおけるシンガポール獲得が重要であるという指摘も印象に残った。つまり、帝国主義とは、政治性に欠いた通商政策的側面が強いオランダのような覇権のあり方ではなく、経済と政治とがしっかりと結びついて、完全に原料供給源かつ製品売却市場として東南アジア地域が位置づけられてから始まるということであり、このあたりは説得的だった。

 

あとはなんだ(2)、どうして軍事独裁・開発独裁に東南アジアの戦後史は特徴付けられてしまうのか、そのあたりの東南アジア諸国が抱える共通した苦悩の根が、イスラームの近代主義者たちの歴史をみるのと似ていて、現地の一般の人たちと、西欧に留学して民主主義等の諸制度を導入しようとした近代主義者(スカルノ)たちとの志向の隔たりがあまりにあるという点の指摘や、また、軍隊と言うある主、一番導入しやすい「民主主義」的集団に頼らざるを得ない苦悩が触れられていて、それも興味深かった。

 

ちなみに河部のこの本の隙間としてある、そもそもインドの歴史(西アジアとの関連も含めた)と東南アジアとの関係についても、宮崎の『アジア史概説』をときどき垣間見ると、めちゃくちゃはかどると思われるし、じぶんはそうやって読んでいった。

 

今日は、宮崎を中心にして東アジア史やアジア史、さらには東南アジア史について紹介したが、以降、徐々に他の書籍も紹介していきたいと思う。

 

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