生産様式ではなく、生活様式へ――西田正規『人類史のなかの定住革命』


2016年秋口に、本書を読んだ。知人からの評価が高かったこと、また以前読んだ國分功一朗さんの本での紹介が興味深かったこと、それゆえ積読の山から掘り出した。

 

西田のこの本が言わんとするのは、暗黙裡に、人間は農耕をはじめ食糧生産をできるようになってすごいぜ(新石器時代革命論=食糧生産革命論)、だったり、「人類史の大部分は定住したくてもできなかった歴史であり、その間人類は非定住を強いられていた」(61頁)(といった定住優越主義者の言説)とは別の観点から、つまり、西田に言わせれば「定住生活は、むしろ遊動生活を維持する事が破綻した結果として出現したのだ」(17頁)という出発点・観点から人類史を考えることにある。そうすると、新石器時代に革命が起こって、遊動狩猟採集民は、こぞって定住農耕民になったんだ、といったこれまでの図式では考えられなかった、定住していたが農耕も行っていなかった人類の存在に目がいくようになる。例えば、従来の観点では焦点の当たらなかった、狩猟採集民文化でもなく、農耕文化でもなかった、縄文時代の日本等々にスポットライトがあてられていく。

 

西田のこの本が面白いのは、「定住革命」と言って、定住生活を称えているようで、ネガティブにとらえる事もできる点にある。

例えば國分功一郎は『暇と退屈の倫理学』の第二章で、退屈の起源として定住生活について本書を引用しながら、貯蔵を強いられた人類が定住を強いられ、その結果、ゴミや排泄物をきちんと処理しないといけなくなり、これらのきちんとした処理(環境汚染への配慮)ができるようになる定住革命を、現在の我々自身であるところの「定住生活を行う個々の人間もまたその人生の中で定住革命を成し遂げなければならない」(國分、83頁)と、まるでやっかいな革命を成し遂げてしまったぜ、あるいは革命がその都度の近代的個人内で生じなければならなくてめんどうなことになったものだ、みたいな感じで叙述するわけである。

 

 

ちなみに國分の本旨は、あくまで、定住化によって、それまで移動生活の中では、めまぐるしく景色変わる等によって新鮮な日々とを送っていたのとちがって、退屈を回避する必要に迫られるようになっちまったぜ、という主張にある。

 

定住して発生するのは環境汚染だけではなく、誰かが亡くなったときには、その死体ともその場所で共存しなければならない。遊動民における死者は、再び生者のもとに帰るという発想にはなりづらいのとは違って(たとえ埋葬しても、戻ってこなければいい)定住民は、死者を日常生活の世界にやってこないよう隔離して(墓地として生活領域と区別)、洗練化した宗教的儀礼によってたたりをおさえるような操作が必要になる。

 

もちろん、遊動民であっても宗教はあるだろうが、たとえば、神的存在はあるだろうが、しかし定住民の神的存在とは質が異なると思われる。

 

遊動狩猟採集民が明日の食料について心配しないのは、自然の恵みを確信しているからであり、それゆえ、食糧を蓄える行為は、いわば、自然に対するまったき信頼を放棄することにほかならない。自然の中で、自然に頼って生きるブッシュマンの自然観とは、おのずと異なる自然観である。自然に対するこの不信は、食糧を蓄える多忙な労働によって打ち消される。(西田、49-50頁)

 

煎本孝は、カナダのタイガに住む狩猟民が、食料も底をついた冬のキャンプで、トナカイの南下をただじっと待つ姿を描いたが、その根底にあるだろう自然に寄せる深い信頼感は、長期的な計画、努力、蓄えに頼って生きようとする定住生活者にはもはや持ちえないものではないだろうが。アイヌが、さまざまな複雑な儀式を通じた神々との駆け引きによって、未来の豊かな恵みの保証を得ようとしたことに、未来を計画し、多忙な労働に耐え、蓄える民の自然観の原点を見ることができよう。そしてまた、未来の制御を確信することこそ農耕を支える精神ではなかろうか(西田、95頁)(強調、blog筆者)

 

この箇所は決して、神について直接語られている箇所ではないし、本書の論証が定住・遊動民たちの宗教の解明に充てられているわけでもない。が、それでも、必ず遊動中に、ないし狩猟や採集に出れば、食糧の恵が与えられるという感覚が想定されうるし、それは<惜しみなく贈与する神>の発想に行き着くと素人考えからすると思われる。ニーチェがツァラトゥストラに語らせる「再興の徳は一個の贈与する徳なのだ」(22 贈与する徳について、ちくま学芸文庫、上巻、135頁)の言葉を想起されるように、近代的キリスト教的価値観とはまったく違う神性が想定できる。妬み、嫉妬深い、ユダヤの神ともまたちがったそれ。

 

 

 

農耕を始めるということは、自然を自分たちで管理しないといけない。それは、内なる自然も含めてのことである、つまりはじぶんたちの身体をもである。四季折々にしないといけないことがあるように、きちんと未来に向けて、計画立て、そうした目的に自分の身体も馴致させていかないとならない。言って見れば、生産的人間へとおのれを、開墾する土地と共に、開拓する必要がある。

 

西田は、未来の制御の相違に行き着く両者の相違を、「生産様式」の重視と「生活様式」の重視の違いとして表していく。つまり、「新石器時代革命」に見られる農業によって食糧を生産できるようになったことは革命的だったんだ、というのは「生産様式」を重視しているということ。対して、西田が言う「定住革命」とは、あくまで生活様式が定住であるか、遊動であるか、そのことの方が人間にとって影響が大きいとする観点に支えられている。

要するに、「生産様式」というのは、マルクス主義的な概念であり、歴史認識のキータームであり、西田は、本書で、この概念に対して、「生活様式を提示することによって、マルキシズムの唯物史観とはまた別の歴史観を切り開こうというわけである。この空隙を開いたこと、それが何よりも、わたしのようなアマチュアの人間が本書を読んだときに、思考を何よりも刺激してやまないポイントである。

 

新石器時代革命論は、農業による生産力の倍増を重視する点で、唯物史観に親和的である。唯物史観もそうだが、新石器時代革命論の観点には、採集者<食糧生産者 という事前価値付与が前提となっている。しかし、西田が提起する、生活様式論は、あらかじめにこうした重心の不均衡があるわけではないのだ。例えば、この上の図6では、遊動生活と定住生活とに人類の生活は分けられているが、そこでは、暗黙裡に 遊動生活>定住生活 という価値付与があるわけではない。

 

 

生産力を重視した立場(一般的に流布する歴史観)からすると、例えば、日本列島の歴史においても、国家形成の助走となるという意味でも、中心的に焦点が置かれるのは、当然弥生時代である。そこでは、農耕民族以外の生活など、経済的も単なる傍流に過ぎないわけである。しかし、生活様式の違いに着目した場合、日本列島においては、遊動狩猟採集民と、農耕民との間のちょうど中間に位置するような、縄文やアイヌの歴史、つまりは中緯度森林体住民の歴史が焦点にあたっていくわけである。特に本書では、縄文時代についての言及がなされている。上の図5は、これまで主流派の歴史観から切り捨てられてきた中緯度森林体住民が、生活様式の違いの観点からは、どれほど農耕民に近いか(それなのに、着目されていないのはおかしい!という論旨で)を示すものである。

 

今後、じぶんとしては考えていきたいのは、生活様式の違いを、現代の生活においてどのように考えていく事ができるのかということ。生活様式とは、mode of life になるわけだけれども、哲学的に言えば、実存の様態 mode of existence としてハイデガーその他、近代以降議論されてきた歴史があるわけである。そのあたり、どう接続しうるのか。

 

また、例えば、今の私の生活など、はっきりいって、なにか具体的な生産物の生産に従事することはこれっぽっちもない。なんなら、近代の教育制度の中等教育機関でのある種の知的労働を行っているに過ぎない。住まいも、借り暮らしである。いま目下、引越し検討中であるが、それだって遊動生活みたいなものである。もっていけないものは、捨てないといけない。

 

 

といったように、そうすると「ノマドワーカー」的な、まるで70から80年代に、ドゥルーズらの日本への影響の中で形成されてきたノマド的ライフスタイルに大きな目で言えば近いようにも思えなくないし、近代的な分業が進んだ世界の中で、どのように生活様式の観点から歴史を見ていくことができるのか、やはり頭の片隅にいれておきたい、そう思わざるをえない。

 

こうした疑問を引き続き持ち続けながら、今後このサイトでそうした思考の形跡をのこせれば、と祈念する。

 

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